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新品 :29960139077
中古 :29960139077-1 |
メーカー | 02d5230 | 発売日 | 2025-04-04 07:12 | 定価 | 18000円 | ||
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カテゴリ |
祖母は在からつまり田舎からお町へ、と言っても深谷ですが商家に嫁に来て厳しい姑に仕えて、とても苦労したそうです。 在とお町では生活にかなりの格差があったようで、おばあちゃんの実家は何人もの人が働く大農家でしたが、母が子供の頃お客に行くとお菜はお嘗め(金山寺味噌)に漬物くらいで、母にだけ特別に卵が付いたそうです。 反対におばあちゃんの実家がお客に来ると、ちくわを煮たものなどがお菜に出て「深谷ん家は毎日がお祭りみたいだ」と言われたそうです。 おばあちゃんは田舎でおっとりと育ったので、いかんせん町場のテキパキと頭の回る姑や小姑からは気が利かないと言われ、おまけに9年も子供が出来なかったので、実家の母親は深谷に来る度、面と向かって姑から「馬鹿だ。ちょんだ」と言われ、実家の兄に「もう人になったんだから戻ってこいや」と言わしめた程だそうです。 おじいちゃんはいい人でしたが坊ちゃん育ちで頼りにならず、それでも辛抱して母を生むと次々下が生まれました。 母は本家の初めての孫で「嫁は憎いが孫は可愛い」の例え通り、姑つまり母の祖母に溺愛され、女学校に学校行事で1週間泊まることがあった時「元気でいろや」と泣いて見送ったそうで、従兄弟たちから「顔のまずい女王様」と言われたとよく母が話していました。 私よく思うんですが、小さいとき愛されて育った人間は、そのことがとても大きな力になるのではないかと。 母は子供の私が言うのもおこがましいですが、心のおおらかな優しい人でした。 母の弟もおばあちゃんが愛情を注いで育て、おばあちゃんの苦労を見ているので、とても母親思いで就職した最初の給料で、学生時代過ごした京都におばあちゃんを連れて行き、奨学金と家庭教師のアルバイトでキチキチの学生生活を送っていて、深谷から同じ大学に行った友達が寝台車とか急行で帰ってくるのに,叔父は鈍行にも拘らず、夏休みの帰省には私たち姉妹に必ずお土産を買ってきてくれました。 今でも覚えているのは、コップの前で水を飲むように動く人形です。叔父にはいつまでも元気でいてもらいたいと思います。 こちらも出品しています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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